こんにちは。
キャリアカウンセラー よこまくかなこ です。
さてさて。
『つぶやき』ですが。。。
2019年秋期から学生(通信制)をしています。40歳後半に突入した今、です。
仕事もボチボチしつつ、仕事において技術・経験を磨くための学びに加え、さらに私にとっては大きな壁を取り払うべく挑戦しているのが『大卒資格』を得ることです。
そこに至ったまでのことを記事にしました。
もし、、、同じ高卒で、たーーーーーっくさんの理不尽な出来事や、モヤモヤした状態でくすぶっておらる方に、少しでもお力になれればと思います。
学歴を手放すもよし、手放さないもよし、こだわるのもよし、こだわらないのもよし。
正解は分かりません。ご自身にしかわからないことですから、、、ね。
けど、まぁまぁいい年齢を迎えたのに何か引きずってる感がある方、参考になれば私も嬉しいです。
学歴の『壁』が出来るまで
私は小学校低学年の頃に、会社を経営している伯父から「これから先はコンピューターを使うのが当然の時代になるよ。それと共に技術者が絶対に不足する。けど、かなこちゃんだったら出来ちゃうことだよ」と言われたのがきっかけで、将来はコンピューター関係のことをやろうと決めたのを覚えています。
今から40年くらい?昔の話です。
ちょうど、こんな風に肩からバッグ並みの大きなの機械をぶら下げて盛る必要があった携帯電話が出始めた頃、、、でしょうかね。
平野ノラさんの「しもしも~」でお馴染みの、あの携帯です。
当然のことながら、今のようなスマホなんてありませんでしたし、WINDOWSも2.0とかの時代だったかと。MS-DOSでしか動かない、ような。
ExcelではなくLotus1-2-3、Wordではなく一太郎、、がメインだった時代、でしょうか。
USBメモリだなんて便利なものもなく、フロッピーディスク(FD)でしたね。3.5インチはまだ無かった気がします。
高校に入って、ようやく5インチや3.5インチを使い始めたような。。。
そんな時代に「これからはどんな会社でもコンピューター無しではやっていけない時代」と認識していた伯父ってスゴイなぁと当時を振り返り。身内ながら感心してしまいます。
そんなこんなで、小学校の卒業文集には周りにあわせて将来の夢は「ピアノの先生」「バレーボールの選手」とか書いてましたが、実際は「コンピューターの仕事をする」と決めていた私がいます。
そうなるとですね。。。
中学校まではそのまま地元の学校へストレートにいきますが、どの高校に進学するか、、、で、学校の先生や母方の親戚(伯母軍団)たちとモメにモメました。
日頃から、近所にあるこの地区の一番の進学高校に「ここに行くんだよ」と言われて育ってきたのですが、なんの魅力も感じない。
「将来、『先生』と名の付く職業に就くなら大学までいくけど、私がやりたいのはプログラマーなどのコンピューターを使う仕事をするとしたときに、商業高校の情報処理科がコンピューターのことが学べる(しかも、学力レベルは一番の進学校にも劣らない)。専門学校にいく必要すらないレベルでコンピューターの基礎が学べるということだし、ここに行くんだ!」
自分の担任には何度か説得されたし、別のクラスの担任で教科担任だった先生には「お前が進学校に行かないとなるとうちのクラスのトップのあいつが受験狙えるな。よしよし」といったことも知り、その頃から「進学」ということに違和感を覚えました。
結局、何故か学校推薦という形で商業高校の情報処理科にスルっと入ってしまったわけです。
そして3年間、普通科目よりも全然時間数の多い商業系科目を勉強し、情報処理の勉強も楽しくおこなっていたんです。
そのままバブル時代の高卒社会人として、地元金融機関の子会社であるIT系会社に入社しました。
第3次オンラインの開発真っ盛りの時でした。
同じ情報処理科から4人同じ会社に入ることになったのです。
バブル時代でしたから、新入社員も非常に多く採用していました。
大卒・短大卒が高卒の私たちよりも全然数が多いです。IT系の会社なのに、ITに興味のない人たちが入ってきていたということが、現キャリコンの私としてはありえない状況だったのを覚えています。
入社して新人教育がみっちり2~3か月行われる予定でしたが、、、IT経験のある高卒メンバーと、IT未経験の大卒短大卒では、研修内容の理解度がまるで違います。
確か初日、、、だったと思うのですが、「2進数」「8進数」「16進数」の説明・解説・問題などが教育プログラムに入っていました。
特に女性の大卒・短大卒の方々は、ここの部分だけで2~3日かけて勉強していました。(たぶん理解していなかったと思う)
その間の高卒の私たちは、、、2~3か月期間の教育マニュアルの問題部分を2日間ほどで終わらせてしまったのです。
何故なら高校授業の延長でしかなかったから。。。
あまりにも時間を持て余し、総務に「仕事したい、現場に行きたい」と直訴したのも覚えています。
結局のところ、システム開発の即戦力がほしい親会社のシステム部門に出向という形で入社後1週間で配属となりました。
ただ、出向メンバーは高卒だけではなく、一部の大卒も、、、ということでしたので、高卒組だけを現場に送り込むことも出来ずに、大卒一部の人たちも研修中とはいえ私たちと一緒に現場に送り込まれました。
配属されてから1か月くらいは、定時後に同期の大学生を高卒1人につき2人くらいつけて、フロー図の見方・書き方・捉え方を教えたり、プログラムについて教えたりをしていました。
・・・今思うと、人材教育なのだから、別料金だわなぁ、、、なんて思いますがね。新人教育を新人にやらせるってどうよ、と思います。
業務中は、高卒組は早々に設計書をもらってひたすらプログラミング・テストを行っていたのですが、大卒・短大卒組は男性も女性もコピー取りやシュレッダー、時々業務を教えてもらう、といった感じで生産性はゼロどころかマイナスの状態が続いていました。
そんな中で事件が起きます!!!(事件ってほどではないのですが)
初めての給料日、大卒のボンボンの男の子が総支給額を全額財形貯蓄に回そうとしたため、金額不足となり(税金だとか、、、ね)総務の人が呆れて連絡してきました。
「え?昼間コピー取り、倉庫から資料の出し入れ、ボケーと時間潰し、定時後は同じ同期の高卒組からプログラムとはなんぞやを教えてもらい、、、
なんで私らよりぐんと給料高いねん(-_-メ)」
金額も聞いてしまったがゆえに、怒りがわいてきたのを覚えています。
ここで「何かがおかしい?」と気づくに至りました。(完全に疑いの目を持つようになった瞬間です)
学歴の『壁』を感じた瞬間
社会人になって早々にカウンターパンチを受けました。
高卒組はいくら社会人とはいえ18、19歳のお子ちゃまです。最近の方は大人っぽいですよね。
同期の大卒組からは結構な上から目線で色んなことを言われたなぁ、、と。
これこそ、私がどう受け取るか、という問題でもありますが、当時の私は「エラそうに。。。」と不満を持っていました。
そんな中、大卒女性陣は、入社2、3年で社内結婚~退職といった方が多かったのです。
上司もとても気を遣って接していたのを(歪んだ目線で)見ていました。
しかし、我々高卒組に上司は「お前ら(高卒組に対し)はまだまだ働いてもらわんとな。結婚なんてまだ先なんやし」と言われていました。
今の時代では完全に『ハラスメント』の部類でしょうが、当時はこれが当たり前でした。
「結婚はまだ」という発言に腹が立ったのではなく、大卒でなければ女性として見てもらえないという認識をし、腹が立っていました。
大卒女性陣も、、、ま、上手ですわな(笑)上司への対応がね。高卒組はどストレートに言いたいこと言ってましたし。
ちょっぴり壁を感じ始めました。
一番の壁は
・給料の差
・受験できる資格の差
です。
私にとっては『受験できる資格の差』が非常に大きく映りました。
社労士さんなど、チャレンジしてみようかな~と思うものはすべて大卒であることが条件。
そのうち、自己啓発のための勉強も、まずは受験条件からチェックするようになりました。
『壁』が見えたときの認知の歪み
今、あの頃を振り返るとただの僻み・やっかみでしかなかったと思うのです。
そして、どこかで「負け」を認識していたのだと思います。
もちろん、自分で選んで高卒後就職という道を選びました。
けど、やっぱりどこかで「自分は大学に行かなかったんだ」という何か見えない十字架を背負っていたんだと思うのです。
私が就職後、一年経たずにバブルが崩壊し、同級生で大学に行った子たちはなかなか就職できず、特に女性で専門科目でもなかった子たちは相当苦労していたと聞きます。
実際に小学校の同級生の子から「どうやったら就職できるの?ITって私でも出来るかなぁ?」などと聞かれたこともあります。
そのことが、さらに認知の歪みに追い打ちをかけたのかも、、、と思うんです。
「いやいや、大学行って勉強してきたんでしょ?それでも会社から必要とされないってどうなん?使いものにならんだけちゃうんかいっ」
決して口に出しませんが、そう思っていた、、、んです。懺悔します。
相当、歪みまくった性格だったのかしら(-_-;)
そしてもう一つ。
母方のいとこたちは私以外全員大卒でした。私が商業高校に行くと決めたとき、親戚中から猛反対を食らいました。
「うちの血は皆大学に行ってるのに、行けるのに行かないなんてどうかしてる!!進学校に行きなさいっ!!!」
と。
その時考えていたのは、「いやいや、大学いって卒業して、しかも首席で卒業したとか言ってるけどさ。結局就職して数年で辞めて結婚して、、、何も役に立ってないじゃん。まだ仕事してるねーちゃんもいるけど、所詮は一従業員じゃん」でした。
私の中で、大学に出て就職して活躍する=管理職や幹部候補として活躍して、会社でなくてはならない存在になる、もしくは起業独立する、ということと思っていました。
なおさら、いとこの女性陣の「即結婚退職、専業主婦」を見ていると、まったく意味がない、4年間親に無駄な出費をさせて親不孝だ!とまで思っていたんです。
そんないとこたちと自分を比較し、「負けている」と思いながらも「高卒でもバリバリ仕事してやる、成果出してやる」という矛盾の中をいったりきたりしていました。
ここから果てしない『競争』が始まりました。
誰と戦っていたかって?・・・・・社会そのもの、そして自分も、、ですかね。分離してましたね。。。
今まで高卒を貫いてきたわけ
正直、、、社会人になってから今まで、おおよそ5~6年周期に「大学卒業資格取ろうかな、、、」と考え色々調べる、、というのを繰り返してきました。
その都度、「いや、忙しいし、その分の費用は別の資格とか、英会話・旅行に費やしたい」と散々考えた挙句理由をつけてはスルーしてきました。
その他にも原因はあるんですが、
「高卒女性だからといってバカにするなよ!!」
と男性優位・数も多いIT業界の中で、プログラマーではなくSEとして意地を張ってきました。
その頃はフリーのSEでしたので、仕事が出来なければ仕事をもらえない、という状態でした。けど人員不足だから大抵のところはOKなんですけどね。
その中でも、一担当者ではなく、リーダー的な仕事もやる位置に就くというのが私の中でのプライドでもあり、競争に勝ってるという承認を唯一受け取れるものでした。
「大卒で男でいい年齢で経験も積んできたであろう人」
よりも
「高卒で女で男性社会の中でも経験を積んで認めてもらえる自分」
という図式で勝負し勝ちを得ては、居場所を守ってきたんだと思います。。。
不利な条件をもっておいた方が、勝利の達成感は増しますからね。
「高卒でもこんだけやれてるのに、大卒のくせに出来ないんだ。何やってんのさ」
と吠えていたわけです。
この時点で、、、完全に「自分が下」ということを深層心理で握りしめ、そこから抜けたくないかのごとく立ち回ってきわけです。
ここまで書いてきて思いました。
私、、、めっちゃイヤなヤツでしかなかったです。過去を振り返り、自分に相当腹が立ちますもの。
反省。。。
プライド?を捨てたきっかけ
そんな、歪んだプライドを頑なに大切に守ってきたのを、あっさり捨てれた訳。
1つ目は、雇われSEを辞めると決めたこと。
フリーとはいえ、どこかに所属した形でしか仕事が出来なくなり(コンプライアンスだのなんだので制限がかかるようになりました)、学歴問題どころか経歴詐称では?と思えるような技術も経験も持っていない人がプロジェクトに大勢入るようになり、表向きではごまかされていましたが、裏では仕事の負担の差が恐ろしいことになってきました。
(この、イマイチな経験でもプロジェクトに入れてしまうというのは、経歴書などもイニシャルだとかで個人が特定されないようになり、業界内では問題とされている人とは分からず着任してしまうようになったというのもあります。)
IT業界って、働き方がブラックなのは言うまでもありませんが、契約形態も非常にブラックというか濃いグレーだったりします。
そんな中で、優位になっている会社さんからの無理難題や各種ハラスメント行為などなどに辟易したというのが辞める理由の一つです。
「もう今まで散々頑張ってきた。あと少し続けようと思ってきたけど、さらに理不尽な状況でまだ踏ん張らないといけないのか?最新のIT技術を覚える気力もない。今までの経験の中ではもうこれ以上の伸びしろもない。もういいんじゃないだろうか」
半ば燃え尽きにも近い状態でもありましたが、反面「散々システム作ってきた。もう卒業してもいいだろう」という達成感もちょっぴりあり。
2つ目は、「教育とか向いてると思う」と立て続けに言われたこと。
まんま鵜呑みにしたわけではありませんが、SEをしていたときも自分より経験のない人や若い子たちへの教育やお世話って結構楽しかったりしましたし、彼ら自身で出来なかったことが出来るようになったときの喜びが、私自身幸せに感じることが多かったのです。
30代中頃から、心理学やヒーリングだと色々勉強してきました。
その中で、そういった自分に気づくようになりました。
では、第二の人生はどうする?
ということを考え、たまたま知ったキャリアコンサルタントというものに興味が移り、勉強・資格取得となりました。
そして、新たに職種を変えると決めた中で、資格を活かして仕事をしようにも、、、「大学卒以上」「大卒短卒以上」の壁がドンと立ちはだかったのです。
(学歴関係なし、、という仕事もありますが、やりたいと思えることではなかったり)
もう昔のような妬み僻みは一切沸いてきませんでした。
「わかった。とりあえずスタートに立つためにも学歴を更新するか。。。」
思っている以上にあっさりと大学卒業資格を取る道を選んでいました。
『手放した』ことで得られたもの、失くしたもの
失くしたもの:変なプライド、歪んだ認知、妬み
得られたもの:学べる喜び、理解度の確認・承認、世界の広がり、未来への希望
でしょうか。
まず、学歴で自分の評価を無条件に下げ、他人を評価を無条件に上げて、やっかむということがなくなりました。
何してんだ、、、とお思いでしょうが。
『自己価値』という部分については、自分自身で非常に低くしていた原因がここにあるのかもしれません。
そして、他人を見て、私からみて思う他人の欠けている点を探し、優劣つけて自分を高く評価しようとしていたこと。
これも、、、何してんだ、です。ごもっとも。
妬みの表現がこうしたドロドロした感じだったわけです。
そういった比較自体が全くなくなりました。
そして、大学という名のもとに(まずは短大ですが)、学ぶことの多さ、世界の広さに驚きました。
「福祉と心理」のコースを選択しましたが、1年次だけでも福祉関連のこと、心理学でも基本編と高齢者向けなどとテキストがたんまりあります。
基本的な一般教養(だと思う。アサーション的なこととかも含め)も改めてテキストで学ぶことで、今までの経験と結びついたり「知らんかった!」ということも発見できたり。
また、別件ですがとある大学院でのセミナーに出席したときに、初めての『大学院』という場所があまりにも刺激的でした。
その辺のホテルよりもうんと綺麗で、学びに集中するために余計なものがなく、それでも洗練された教室だったりで、、、
「大学行っとけばよかったーーーーー!」
と心から思いました。
遅ればせながらようやく学生となり、通信とはいえ最低限の単位数はスクーリングが必要で。
自分でどの単位をいつスクーリングでとるのか、科目習得試験を受けるのかを決め。
大学生、めっちゃ楽しいやん♪
しかもスクーリングでは、私は前の席に座るのですが、同じように前に座る人たちってやる気MAXの方ばかりで。
グループを作って討論するときはめちゃくちゃ盛り上がります。
そんな新たな刺激を受けて、学生だけではなく、キャリコンとしても地道にベースを組み立てていきたいと思っている次第です。
そんなこんなで。。。
色んな経験を積んで、ようやく置き去りにしていた何かを迎えにいき再度歩みだそうとしている、、、といった感覚です。
4年間、楽しみます♪♪